たけさんのzakki

take0606の日記

ネットの普及により人との距離が格段に遠くなった気がする -備忘録

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昔、言葉は思想であった

昔、言葉は思想であった

 分が自分で在ろうとしていく時に、例えばそれが、子供から大人になっていく中で軸にしていくもの。良い悪いではなく指針とすべきものが必要であり、それは必ずしも、父であり母であるのだが、良い部分でも、たとえそれが悪い部分であったとしても、自分にとっての基準であったり、規範になっていたりするものだ。

 僕にとっては父なのであるが、父に対し、「この部分がやだな、嫌いだな」というところも当然あるし、逆もまた当然としてある。

 

 最近、親子が友達みたいな関係になってきている、という記事を何かで読んだ。

 子供の頃から、親と友達のような関係性だったとして、どこで自分にとっての基準であったり、規範になる部分を育んでいけば良いのかとも思う。

 自分を振り返ってみても、友人から“基準や規範になる部分”など感じ取ったことも無いし、友人に対し向けたことも無い。

 もちろん友人関係なのだから、そもそもあるはずも無いのだが、それらの関係から“基準や規範になる部分”とは無理がある。

 

 だからこそ、たとえ反面教師であったとしても、軸になり指針になるような大人でないと駄目なのだし、そのような父母でないと駄目だ。

 当然、その都度いうことを変えるブレブレの風見鶏人間が親では子供も混乱してしまう。

 流行りに身を任せ、その都度、発言を翻すミーハー人間など子供でなくとも混乱するし、信用も出来やしない。

 当然、その在りようは保守的とも言えない。保守とはオトナである事といえる。

参考記事:

matome.naver.jp

日本の保守思想 (ハルキ文庫 に 1-6)

日本の保守思想 (ハルキ文庫 に 1-6)

 

保守思想が何を意味するか、その定義は様々であろうが、今、仮に保守思想を体現した人物が眼前に現れたと想定してみると、その人物はまぎれもなく大人の風貌をもっていると見当がつく。オトナの定義もこれまた様々であろうが、さしあたり、物事に熱狂するのを避けること、それが大人たることの第一条件だといえよう。
出典
西部邁「日本の保守思想」

 本にとっての保守思想とは、日本の歴史と伝統文化を守り抜く事、保守する事と理解している。

 それは、引用にある 

「さしあたり、物事に熱狂するのを避けること、それが大人たることの第一条件だといえよう」

 のことと言える。

 つまり、この部分に当たるのだが、戦後日本とは、古き良き日本的なものを価値がないとし、欧米的価値をすべて正しいとしてしまった。

 それは、ハロウィンでも示してしまったが、無批判かつ無根拠に熱狂的に欧米的なものが絶対とばかりに散々有難がってしまった。

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take0606.hateblo.jp 分と時間はかかってしまったが、僕もそれなりに分別がつくようになってきた。不思議と許せる部分が増えてきたりもするが、逆により許せない部分も増えてきた。

 SNSなどで、時にドギツイ文言が飛び交ったりもする。当然、ドギツイ文言はキャッチーだし白熱もしやすい。

 ただ、その在りようもやはり保守的とも言えず、自分自身の生きていく指針であったり価値判断であったりする思想を文言として振りかざし、心無い言葉を相手にぶつける姿など保守のフィールドでは本来なかった筈なのだが...。

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take0606.jp

 はり、ネットの普及により人との距離が格段に遠くなったような気がする。いっけん、時間も距離も飛び越えて行ける錯覚もあるが、そうでは無い。

 近づいても近づいても離れていくような気がする。

 どこまで行っても、お互いに心には触れられないのかも知れないね。

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