たけさんのzakki

take0606の日記

不倫以前に、人を裏切ることや、悲しませること、不自由にすることこそ悪

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「文春砲」大炎上


globe / Anytime smokin' cigarette

headlines.yahoo.co.jp

 引退を表明した小室哲哉(59)の不倫疑惑を報じ、炎上状態となっている週刊文春の公式ツイッター「文春砲(文春くん公式)」が21日、午後2時30分時点で3262件とのコメントが集中し炎上が変わらない状態となっている。

 

 もちろん、「文春」は駄目と思うよ。ただ、これですら今にはじまった事でもなく、週刊誌が週刊誌を全うしただけで本分を貫いただけの事。本分を全うしただけで、全うしたことにおいては、ひとつも間違えていない。

絶対なんてないよ。真実なんて分からない

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映画『羅生門』

真相は『藪の中』という有名な言葉の語源となった作品でもあり、この言葉を辞書で引くと、「関係者の言い分が食い違っていて、真相がわからないこと。」と説明されている。

『羅生門』は1950年に公開されるも、日本では不評だった。が、海外では高く評価される事となる。

ただ、何故この作品が日本では評価されず、海外で評価されたのかというところであり、それは、本来、日本人は当たり前の事として持ち合わせていた価値観が由来してのことと、僕は理解している。

つまり、何かというと、一神教と多神教の話であり、一神教の国の人々は絶対的かつ客観的現実があると認識していて、いわゆる、それが「神の視座」なのだが、かれらは、絶対的に真実はひとつと思い込んでいる。

 が、『羅生門』という作品は違った。

「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と問題提示されてしまったものだから、当時の時代背景もあいまって、世界中のインテリ層がこぞって見てしまったのだが、日本人にはピンとこない。

それもそう。

日本は多神教の国なのだし、あらゆるところに「神の視座」が点在していると認識していた。だから、尚更、「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と、慎ましく謙虚な感覚を持ち合わせていたと言える。

当然、絶対など無い、と相手と向き合えば、寛容でいられるし、相手も間違っているかもしれないが、自分も間違っているかもしれないと考えられる。

日本人にとっては、本来、当たり前の感覚だったはずなのだが、現代日本人が持ち合わせているようにも思えない。

「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と慎ましく謙虚な感覚を持ち合わせていれば、そもそも、ネット上においても相手を無根拠に罵倒することも無い。

真実など無い

 やはり善悪なんてものは最初から存在などしていないのだし、なんだか良く分からない、不完全同士が理解しあう努力をして行くしかないのだと思う。

 その為には、フェアでなくてはならないし、他者の過ちを最低限許せる度量を持ち合わせなければ、SNS社会は立ち行かない様に思う。

 そもそも、「不倫」も駄目なんだよ。小室が断罪されて当たり前なんだよ。KEIKOさんが一番可哀そうなんだよ。

 文春を袋叩きにすれば済む事なのか、とも思うし、飽きたらまた他のリンチ先を探すのだろう。

様式美“てのひら返し”

 某炎上芸人が袋叩きにあっていたが、ネタを評価して持ち上げていたではないか。それが、「朝生」の失言ひとつで、てのひら返しとは何なのか。ミスひとつで袋叩きとは何なのか。ゲス不倫のゲス乙女・川谷の件も同様だよ。

 間違えるんだよ。

  生き物なのだから、失敗もするし、その失敗を糧にして成長してゆくのだろう。それをひとつのミスだけを捉えての全否定とは何なのか。

 誰が一度でも失敗したら返り咲けない社会を作り出しているのか分からないではないか、とも思う。

オトナが駄目なんだろ

 ネット社会となり、ひとの底意地の悪さだけしか目につかないが、“さとり世代”なんてものが誕生してしまうのも納得だよ。

 ひとつも寛容では無いし、平素、綺麗ごとを言っているのは「建前」なだけで「本音」はクソ汚い。全て、「建前」で嘘なんだから、綺麗ごとを二度と吐くなよと思うね。

言葉でも不自由にされる

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ただ、人が生きていくうえで、様々なコミニュティに所属し、なおかつ、そのコミニュティにおいて様々な役割を担ったりしなければならなくなる。当然、その様々なコミニュティにおいて、様々な顔を持ち合わせていたりもする。

つまり、何を言いたいかというと、コミニュティごとに別の発言をするかも知れない可能性を秘めていると言う事だ。勿論、これも当たり前の事を言っている。当たり前な事を言っているが、SNSでは当たり前ではなくなる。

それは、冒頭の炎上芸で有名な某芸人の事なのだが、実名でSNSで発言する事は全方位に発する事なのだし、主義を異する者から反発されるに決まっている。

だからこそ、一般の人々は実名を避けるし、コミニュティごとに別アカウントをつくっていたりもする。

「実名で発言しろ!」という価値観は理解できる。が、ことSNSにおいては完全には不可能だ。炎上芸で有名な某芸人のような後ろ盾も無く、守ってもらえることも無い。さらし者にされて終わりだ。これらの価値観は、一見正しい事を言っているように聞こえるが、一種の暴力といえるかも知れない。 

不自由にすることこそ悪

 不倫以前に、人を裏切ることや、悲しませること、不自由にすることこそ悪で、憎むべきこと。

 では、例えば、不倫を国策で推奨されたら、どうするのか。

 裏切ったり、悲しませてまでも不倫をするのかと言うこと。

 違いますね。「不倫をする、しない」が重要ではなく、人の痛みを知る事こそ重要なのだし、だからこそ「不倫」をしないのだよね。

 人の痛みを知るからこそ、不倫はいけないのだし、同様に不倫だけの問題でもない。

 それは、「ルールが在るから、無いから」と言った事ですらなく、各々の理性に頼るしかないのかも知れない。

 人を裏切ることや、悲しませること、不自由にすることこそ悪なのだし、その類の批判も同様に、限りなく正解に近かったとしても、悪と考えないなら間違いですね。

 

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