たけさんのzakki

take0606の日記

そもそも、相撲、野球ともにスポーツですらなく、ましてや道などの筈がない。興行と言うプロレスでしかないから、楽しめれば良いんじゃないの?  備忘録

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流石にうんざりだろ?

視聴者不在の報道姿勢か

相撲協会が貴乃花親方の異議に反論「事実と異なる」 - 大相撲 : 日刊スポーツ 

相撲協会、貴乃花の隠蔽暴露に反論せずテレ朝出禁…関係者「協会は正常な判断できない状態」 | ビジネスジャーナル 

 もう、うんざりだ。いいよどーでも。相撲報道飽きた。

 マスメディアは誰に向けて相撲報道しているのか分からない。また、冬季五輪でも同様の事を思うが、その在りようは理解に苦しむ。

 ただ、少なくとも視聴者の為ではないことも理解できるし、視聴者不在を繰り返して来た結果と、ネットの普及による情報拡散や共有により、なおの事、若年層を中心としてマスコミ不信、テレビ不信につながっている。

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「神の視座」が遍在

つまり、何かというと、一神教と多神教の話であり、一神教の国の人々は絶対的かつ客観的現実があると認識していて、いわゆる、それが「神の視座」なのだが、かれらは、絶対的に真実はひとつと思い込んでいる。

 が、『羅生門』という作品は違った。

「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と問題提示されてしまったものだから、当時の時代背景もあいまって、世界中のインテリ層がこぞって見てしまったのだが、日本人にはピンとこない。

それもそう。

多神教の国だから

日本は多神教の国なのだし、あらゆるところに「神の視座」が遍在していると認識していた。だから、尚更、「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と、慎ましく謙虚な感覚を持ち合わせていたと言える。

当然、絶対など無い、と相手と向き合えば、寛容でいられるし、相手も間違っているかもしれないが、自分も間違っているかもしれないと考えられる。

多様性も寛容さも持ち合わせていた

日本人にとっては、本来、当たり前の感覚だったはずなのだが、現代日本人が持ち合わせているようにも思えない。

「絶対なんてないよ。真実なんて分かりっこないよ。」と慎ましく謙虚な感覚を持ち合わせていれば、そもそも、ネット上においても相手を無根拠に罵倒することも無い。

まず、相手を疑うのも良いが、同様に自分も疑ってみれば、とも思うし、頭の出来なんて言うほど大差ない。それでも、なお自分だけ優れていると思うなら、病院で診てもらって方が良い。それは病気。

藪の中で分かりっこない事を、何時まで飽きずに 

 不確かな情報を、不確かなメディアが不確かなニュースとして垂れ流し、不確かな素養しか持ち合わせていない、不確かな消費者に答えが出せるはずも無いことがらを、延々と云々する永久機関なのだとしたら、ホント馬鹿げていると思う。

だから見ないんだよテレビ。いつ気付くの?

 相撲にせよ、まぁ、野球でもいいのですが、デタラメな存在が言うが「神事」や「道」なんていっても誰も信じるはずも無い。

 「相撲道」「野球道」なんて誰が信じるの?うそでしょ、そんなの、誰が騙されるか。

 「横綱の品格」「紳士たれ」?笑わすな。ホント、酷い冗談と思うね。

では、スポーツなのか?

 では、せめて相撲、野球ともにスポーツを全うして欲しいとも思うが、そうでは無い。やはり、嘘ばかりの出鱈目。

スポーツ(sports)は、 ラテン語のportare(ポルターレ=ものを運ぶ)に由来したものであり、ラテン語のdeportare(デ・ポルターレ=生活から離れる)がフランスに渡り、Desporter(Des 離れる+porter運ぶ。 ディスポーター=ものを運ぶことをやめる。動詞で、はしゃぎ回ると言う意味もある)とになった。この頃は、仕事から離れる、生活から離れる、どこかへ行くことなどを意味し、カードで遊んだり、気分転換すること、楽しい感情を発散させるものであれば何でもDesporterとされた。

引用 - ニーズ創造研究所
http://www4.osk.3web.ne.jp

スポーツですらない

 相撲や野球、それこそ日本の学生スポーツにおいて、例えば、高校野球などで平素から、上述の事柄を重視しているのか。

 嘘でも重視してこそ、とも思うが、余裕で精神論がまかり通り、本来の「スポーツ」の意味するところから乖離し、「気分転換」や「楽しみ」「遊ぶ」などと言った事柄は重視していない。

 それこそ、学生時分から勝利至上だ。

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高校野球に問題あり ———
大相撲同様に...
日本のこころが破壊され続けている。欧米の論理、価値観に破壊され続けている。それは、今まででは考えられないスピードで破壊され続けている。

前述の『勝利至上主義』とは、「スポーツ」の価値観であり、結果こそ最高の価値であるとするもの。

高校野球は学生スポーツ
もちろんプロなら最低限理解もするが、子どもたちや学生スポーツを『勝利至上主義』で判断するなら、やはり間違えている。筒香同様に自分もそう理解している。

高校野球とは学生スポーツなのだから、『勝利至上主義』ではいけない。勝ち負け以前に、教育の一環であってこそで、それは、「結果」より「過程」を重視する事でもある。

つまり「道」の事である
「道」とは神道、または武士道の徳目を重視してこそで、勝つためには手段を選ばないと言った、勝利至上主義など、日本的ではない価値観である。

某カヌー選手の禁止薬物混入で問題となったが、欧米の論理、価値観で判断するなら行為自体の悪質さ度合いほど、重要なことでもなく問題とならないようだ。

が、武士道由来の価値観なら、二言をしてまで人を裏切り、卑怯をしてまで勝とうとする行為とは、ハラキリとなる。

だからこそ、「道」であれとも思うが...

 本来なら、過程に重きを置くのが「道」なのだが、そうではなく、それらの「武士道」由来の保守的な価値観をも曲解し、ただただ、精神論がまかり通る下地になっているに過ない。

 競技として高校野球に打ち込むことの正当性を与えてしまっているだけで、そこには「気分転換」や「楽しみ」「遊ぶ」と言った感覚は一切ない。

 勝利至上主義の為に「道」が利用される結果となっている。

 また、同時に女子マネージャーにも、間違った精神論を振りかざし、世間に間違った保守のイメージを植え付けてしまう事にもなっている。

 男女平等といった、いわゆるリベラル発想で、男子部員同様にマラソンをさせ、女子マネージャーがマラソンする事に苦しむも、精神論で強要させ、また、マネージャーが倒れるも、AEDを不使用と理不尽な精神論。

news.nicovideo.jp

誰のためのマスコミ?

 保守も左翼もイデオロギーを喧伝したいがためなら、やめてくれとも思う。

 まず、日本で日々暮らしている人の為にあってこそで、苦しんでいる人の為であってこそ。

 それらを全うしないのだとすると、誰のためのマスコミとなる(-_-;)

 

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