“鉄人” 衣笠祥雄が育てた広島カープの伝統文化
一途にやり抜くことは美しい
亡くなる直前まで、野球に携わることを止めなかった“鉄人”
衣笠祥雄さんが解説の試合を見る機会があった。声もひどく、異変も感じたが、分け隔てのない愛のある解説は変わらなかった...
人の評価は常に気になるもので、毀誉褒貶に振り回されるものでもある。また、その時々に変わる評価に委ね自分を見失う。
衣笠祥雄さんが“鉄人”であれるのは決して、体が強いからではなく、一途にやり抜くことがいかに美しいか知っているからで、委ねるのではなく、確信していることを続ける自分自身を信じ抜けるからではないのか。
人の評価は恐ろしい
ひと月前と違うことを言い出すオトナが身近にもいる。
すべての人間が“鉄人”であれば何の問題も無いのだが、そうではない。また、酷い言葉に苦しめられる人もいる。残酷だ...もし、言葉に価値があるとするなら、また、正しさを説こうとするなら、一途に黙ってやり抜くことしかない。
そうではなく、フラフラと評価を気にし他人に委ねる者が説く正しさに価値などない。また、聞く必要もない。ひと月後には違うことをいう。それは、言葉の暴力でしかない。
アカの他人なら良いが、身近にいる、その都度、価値を変化させる者に評価されるとは...
考えるだけでも恐ろしい。それは、言葉の暴力と価値観の破壊でしかない。