たけさんのzakki

take0606の日記

レインボーライン ~“善戦マン”と揶揄され続けるも、首を下げること無く挑み続けた父の汚名をそそぐ

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引用:http://p.nikkansports.com/goku-uma/

レインボーライン 着せられた父の汚名をそそぐ

競馬はブラッド・スポーツ

らゆるスポーツにおいて、体格と言ったものは重要な要素である。

 競馬においては馬格に相当するが、同様に重要で、馬体重が結果に及ぼす影響も無視できない。

 ブラッド・スポーツとも呼ばれているが、血統が良いほど、結果が良い方に出やすく、血統が悪いほど、悪い結果につながりやすい。

 血が馬格といった、骨組み、肉づき、体高や馬体重など、能力を形成する仕組みを作ると思って良い。気性もそうか。

 血の宿命と言えるかもしれないが、血筋の悪い競走馬が良血馬と互角に戦うのは難しい。

 競馬とは、そういったスポーツとも言える。

サラブレッドとは:http://www.jra.go.jp/kouza/thoroughbred/

それは、血の宿命

 2017年宝塚記念にも、血の宿命に抗っていた馬がいた。

 キタサンブラックとレインボーライン。


2017/06/25 第58回 宝塚記念(GⅠ)【サトノクラウン】

キタサンブラックは平凡な血統

タサンブラックの父はブラックタイド

 ブラックタイドの弟にディープインパクトがいるが、ブラックタイド自身の現役成績は弟に遙か及ばず、種牡馬成績もまた同様だった。

 キタサンブラック自身も2,000万円程度で売買と、サラブレットとしては年間何千頭と生産される中の平凡な一頭といえるだろう。

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レインボーラインは小さな馬体

インボーラインの父はステイゴールド

 ステイゴールド自身、引退レースでの海外GⅠ勝利が唯一の大レースの勝利と、現役成績はそこまで特筆するほどでも無かったが、産駒には、父の汚名をそそがんとオルフェーヴル、ゴールドシップ、ナカヤマフェスタなど、最強馬クラスから海外GⅠ級と、名馬を多数輩出している。

 血統的には、キタサンブラックと比較しても、良いと見て間違いなく、実際5400万円で2014年のセレクトセールで取引されている。

 ただ、馬体は小さく、宝塚記念出走馬中、最軽量の444キロと、唯一牝馬で出走したミッキークイーンよりも4キロ軽く、前述のキタサンブラックは542キロで出走している。

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“王者”がもがくなか大健闘

 レースでは、500キロ前後の大型馬が時計のかかる馬場に苦しむ展開に。

 直線に入ると、“王者”キタサンブラックがもがくように沈む中、後方から“牝馬最強”ミッキークイーンとともに、レインボーラインがしぶとく追い上げる。

 結果は5着と敗れはしたが、ミッキークイーンとともに大健闘といえる。
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秋初戦は天皇賞(秋) 舞台は東京競馬場

4度挑み、勝利することがなかった舞台

も計4度挑んだレースであったが、2着、2着、7着、7着と一度も勝つ事はできなかった舞台を、秋初戦に選んだ。

 1番人気は王道である、GⅠ天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念に出走し、その後引退すると発表された、キタサンブラック。

 レインボーラインは13番人気と評価は低かったが、“王者”にも気持ちでは負けていない。


2017天皇賞(秋) キタサンブラック(武豊)

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着せられた汚名をそそぎたい

 秋初戦となった天皇賞(秋)は、“王者”キタサンブラックがゲートに突進し出遅れる、波乱を予感させる展開に。

 レインボーラインはまずまずのスタートを切り10~12番手でレースを運ぶ。

 かたや、“王者”と“天才”のコンビは、極度に荒れた馬場を他馬が嫌い避けていたインコースに進路をとり、ジッと我慢し機会をうかがっていた。

 

 その最強コンビもチャンス到来と、3角から4角にかけて進出し直線手前で先頭に立つと、弾けるような勢いで、内から馬場の真ん中へと独走にかかっていた。 

 4角では、キタサンブラックの3頭外を回ったレインボーラインがしぶとく追い上げるも、勝負には加われなかった。

 3着は大健闘も父同様“善戦マン”の感は拭えない。着せられた汚名をそそぎたい。

年明け初戦は阪神大賞典

簡単にへこたれない。父の良いところ

皇賞(秋)では3着と大健闘をし、キタサンブラック同様に秋の古馬王道ローテで挑んだが、“王者”キタサンブラックや良血馬の前に、ジャパンカップは6着、有馬記念では8着と後塵を拝してしまう。

 

 .....知ってる。

 このままで終わらないのが、ステイゴールドの血の良いところ。


2018年阪神大賞典(GⅡ) 優勝 レインボーライン     


2018/03/18 第66回 阪神大賞典(GⅡ)〈レース結果〉

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息の長い活躍は父譲り

 レインボーラインは5歳になっていたが、息の長い活躍は父譲り。誇れることだ。

 “善戦マン”は3番人気に支持され、馬体重も454キロと10キロ増で出走と成長の証。

 レースでは、ディープインパクト産駒のサトノクロニクルを封じ、1着でゴール板を駆け抜けていた。

 2016年のアーリントンC以来、約2年ぶりの勝利となった。

 

父同様に首を下げること無く、ゲートが開くのを待つ

天皇賞・春(GⅠ) 優勝 レインボーライン     


2018/04/29 第157回 天皇賞(春)(GⅠ)〈レース結果〉

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も挑んだ天皇賞(春)、三度挑み2着、5着、4着と惜敗。

 父ステイゴールド自身、日本でのGⅠレースを勝利することは最後までかなわなかったが、“善戦マン”と揶揄され続けるも、5年ものあいだ首を下げること無く挑み続けた...

 おなじ舞台に立ち、父同様ただ前を見て、静かにゲートが開くのを待つ。

 

「黄金旅程」

ステイゴールド 引退レース   

 ステイゴールドが長い旅路の果て、終着駅にて香港ジョッキークラブからもらった名前である。

 

 「黄金旅程」良い名前だ。

 

 通算50戦目に引退レースとして選んだのは、香港・沙田(シャティン)競馬場で毎年12月に行われる香港国際競走のひとつ香港ヴァーズ(GⅠ)だった。

 国際レーティングでは、120ポンドの評価を得ているステイゴールドは、抜けたトップクラスの存在であり、当日のオッズも2倍と1番人気に支持されていた。

 善戦マンの勝負が始まった。

 430キロにも満たない小さな体で、大きなケガをする事もなく走り続けた5年、最後のレースを迎える事となる。

 

“善戦マン”の汚名を...   

 「香港ヴァーズ」

 GⅠレースではあるが臆することもない。

 シルバーメダルは要らない。

 50戦目のレースをこの地で迎えたのは、もちろんそんなもののためではない。

香港ヴァーズ(GⅠ) 優勝 ステイゴールド   

豊のレース後のコメントであるが、ゴール前での追い込みを

 「まるで背中に羽が生えたようだった」と、そう評した。

 また、エクラールがドバイで破ったファンタスティックライトと同じ青い勝負服を用いるゴドルフィンの所有馬であったことから、

 「どうもステイゴールドはゴドルフィンのブルーの勝負服を見ると燃えるみたい」とも語った。

 共有馬主のひとり、競馬評論家である山野浩一は、

 「まるで一瞬ビデオがカットされ、一秒くらい飛んだかのように、次の瞬間にはエクラールをとらえていた。いったいその間をどんなスピードで走ったのだろう。少なくとも私は過去にあのような瞬間的なスピードを発揮した馬を見たことはない」

 とのちに感想を述べている。

 ステイゴールドは2001年JRA賞特別賞を授与された。生涯GⅠ出走数20回 重賞連続出走回数36回と、いずれもナイスネイチャをしのぐJRA記録となる。

悲願の初戴冠もゴール直後に異変、故障発生。レインボーライン引退

 

通算成績 22戦5勝 [5-3-4-10]
主な勝鞍 18'天皇賞(春)(G1)      

headlines.yahoo.co.jp

 レインボーラインを管理する浅見師は「天皇賞は届かないような所から届いた。あの執念と根性は今も目に焼きついている」と回顧。同馬を所有する三田オーナーは「レインボーラインの子供達が日本全国の競馬場で、またロンシャンでチャーチルダウンズで疾走する姿を夢見ています」とエールを送りました。

 ◆レインボーライン 父ステイゴールド 母レーゲンボーゲン(母の父フレンチデピュティ)牡5歳 栗東・浅見厩舎所属 馬主・三田昌宏氏 生産者・北海道安平町ノーザンファーム 戦歴22戦5勝 総獲得賞金4億5046万6000円。

三田オーナー、愛馬の引退「頭下がる。涙が止まらない」   

www.sponichi.co.jp

 三田オーナーは愛馬への思いを書面でつづっている。優勝馬不在の「天皇賞・春」の表彰式で脳裏をよぎったのは、「名馬名勝負」とのタイトルのLPレコードで聴いた1967年の日本ダービー実況だったという。勝ったアサデンコウがゴール150メートル手前で骨折したにもかかわらず、1着で駆け抜けたことに「壮絶ともいえる人馬共に命を懸けた戦いがあることを知り、競馬の魅力を認識しました。まさかその51年後に、同じような表彰式に私が立つことになるとは夢にも思いませんでした」と記した。