たけさんのzakki

take0606の日記

多様性を追求することとは、文化を追求することに思う。 “マイノリティを認める社会”が大前提だと上手くいかない 備忘録10/5

多様性を追求する自由を尊重すること   

様性を認める社会を、ハナから“マイノリティを認める社会”とすると上手くいかないように思う。それは、つねに多数対少数の構図に成ってしまうから。

 そうではなく、一個性にある、多様な部分の中にある一つとしての特性と認めるときにマイノリティを認めるという事にならないか。

 たとえば、もし、障害を抱えているのだとするならば、やはり、自身の障害に重きを置くのではなく、自身が多様であること。また、その多様性を追求することをすれば、他者は障害ばかりに目を向けないのではないのか。

 多様性を追求する自由を尊重することこそを“マイノリティを認める社会”のような気もする。

“マイノリティを認める社会”が前提だと上手くいかない   

 そうではなく、マイノリティであることを前提に話を進めていくと上手くいかない。

 良い悪いではなく、日本はそういう国ではなかったし、ご先祖様もそうでは無かったから。

 なので、マイノリティを大前提で話を進めることを嫌う。また、制度を変えれば良いというものでもない。日本の心がなければダメ。9条の話も同じこと。

 ルールを変えても心がなければ意味がない。どうせ、ルール内で悪事を働くから。そして、また、その悪事をルールで縛る?キリがない。だから心。日本の心。

帝国主義の世界(赤が欧米の帝国主義勢力) (一部地図の色分けに間違いがあります。南米とアフリカの一部)
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多様性を追求することとは、文化を追求すること   

 そもそも、日本人そのものがマイノリティだった。

 が、その弱肉強食の世界の中でも、言い訳をせず、自由を追求した結果が先の大戦。良い悪いでなく、それが日本。仕方がない。

 多様性を追求することとは、文化を追求することと捉えると保守思想的にも適う。

 日本の歴史と伝統。日本の文化。心の豊かさ。決して物質性ではない。