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take0606の日記

ポーランドは親日国である「日本とポーランドが手を携えてロシアと闘おう」 |更新10/3 2018ロシアW杯 日本、ポーランドに引き分け以上で決勝T進出 備忘録

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知られざる親日国。なぜポーランドの人々は日本に感謝し続けるのか

2018ワールドカップ日本 対 ポーランド(グループH)

負は下駄を履くまでわからない、ということわざがある。

 勝負はどう決着がつくか、最後の最後までわからない。という事を意味する。諦めることなく最後まで戦い抜けという事。

 「下駄を履く」は、「物事が無事終わり、帰る支度をする」という意味。「下駄をはくまで~ない」の初出は江戸時代。由来は不明。と言われている。

ワールドカップ開催直前   

 良く分からない情報により批判にさらされてもいたが、予選2試合を終え、1勝1分け。

 次の対戦相手のポーランドに引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まるようだ。

 ポーランドは勝ち点0と予選敗退が決定している。

 敗退は決定しているものの、こういう時こそ“勝ってかぶとの緒を締めよ”ではないが引き締めて事に当たらなければならない。

 油断は禁物だ。

「日本とポーランドが手を携えてロシアと闘おう」

戦相手のポーランドは親日国である   

 ポーランドは18世紀末にロシア、プロイセン、オーストリアに分割され、独立を失った。その後、粘り強く独立運動が続けられたが、彼らに勇気を与えたのが日露戦争だった。

日露戦争は日本国の存続をかけた戦いでもあった

露戦争では、松山出身の秋山兄弟がそれぞれ日本の騎兵と海軍の技術向上に尽力し、それは、日本国の存続をかけた戦いでもあった。

 当時最強と謳われたロシアのコサック騎兵を打ち破るべく、真摯に仕事に打ち込む兄好古と、海軍に入隊し、最強バルチック艦隊を殲滅せんと、悩みぬきながら海軍戦術を研究し続けた弟真之。

 同郷には正岡子規がおり、諸説ありますが、子規がベースボールを“野球”と名付けたと言われています。

 子規も病と闘いながら俳諧の革新に挑みつづけました。

野球を訳したのは誰だ!?野球を愛した俳人正岡子規 | Baseball Crix(ベースボールクリックス)

意識高い系スポーツサッカーが守旧派スポーツを革新する 備忘録 更新5/17 - サッカー

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫) 文庫 – 1999/1/10
司馬 遼太郎 (著)

ポーランド人捕虜全員が万歳を叫んだ

ーランド独立の英雄として敬愛されるヨゼフ・ピウスツキは1904年7月、日露戦争の最中に日本を訪れ、明治政府に対して日本とポーランドが手を携えてロシアと闘おうと呼びかけた。

 ポーランドがシベリア鉄道の破壊やロシア軍に徴発されているポーランド兵の脱走・投降工作をする代わりに、日本は独立運動への支援を行う、という具体的な提案だった。また、もう一人の独立運動の指導者で穏健派のドモスキも来日して、ピウスツキの提案は非現実的だと日本政府に進言した。

 結局、日本政府はピウスツキの提案のうち、最後のポーランド人捕虜に対する好意的な取り扱いだけを採用することにして、松山にポーランド人捕虜のための収容所を作り、特別に厚遇した。

 捕虜の正確な数は判っていないが、一説には数千人の規模に達したという。日本海海戦で日本がバルチック艦隊を破った時には、ポーランド人捕虜全員が万歳を叫んだのだった。

https://www.mag2.com/p/news/239114