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エルトゥールル号遭難事故 |100年近く経っても胸にとどめ続け、命懸けで行動を起こした

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【銀幕裏の声】エルトゥールル号遭難事故と「坂の上の雲」の意外な接点 「海難 1890」の真実(中)(1/3ページ) - 産経WEST

エルトゥールル号遭難事故

オスマントルコ帝国使節団が来日も

1890年   

 エルトゥールル号に乗ってオスマントルコ帝国の使節団が来日。

 明治天皇に拝謁したのち帰国の途に就いたが、横浜から神戸に向かう途中に台風に遭い、岩礁にぶつかり船は座礁、沈没した。

 581名が亡くなった。

住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった

 エルトゥールル号遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。

 また、串本町大島の住人が必死の救助にあたり、69名を救出。

 エルトゥールル号の乗組員は神戸で順調に回復し、その後日本海軍の軍艦比叡、金剛に分譲しトルコまで丁重に送られました。

経済力からみても非常に多額の義援金が集まる

 日本では犠牲となったトルコ人への同情論が高まり、当時の日本の経済力からみて非常に多額の義援金も集まりトルコに届けられました。

 以降、民間レベルでの交流が活発になります。

 日露戦争時、トルコはロシア黒海艦隊の邪魔をし日本を助け、日本連合艦隊がバルチック艦隊を破ったときには熱狂。

 この年に生まれた子供に「トーゴー」や「ノギ」という名前をつける人が多くいたと言われています。

イラン・イラク戦争が激化

「期限以降にイラン領空を飛行する飛行機は民間機であろうとすべて撃墜する」

1985年   

 95年後の1985年イラン・イラク戦争が激化。

 フセイン統治下のイラクはテヘラン空爆を開始。

 期限を設定して「期限以降にイラン領空を飛行する飛行機は民間機であろうとすべて撃墜する」と通告してきた。

 当時テヘランには日本企業社員やその家族等250名がいた。

「今こそエルトゥールル号の恩を返そう」

 日本の航空会社は乗員組合が「危険なところには飛行できない」と拒否したため救援機を飛ばすことができなかった。

 また、各国の航空会社は自国民の搭乗を優先したため乗り込むことができず、イラクの通告期限があと数時間に迫っていた。

 

 日本人はそのままテヘランに取り残され、イラクの空爆下を逃げ惑うしかない状況に追い込まれつつあった...

 

 そのとき、トルコ航空の特別機2機が飛来してきた。

 当時のオザル・トルコ大統領が「今こそエルトゥールル号の恩を返そう」と派遣を決断。

 日本人ほぼ全員が乗り込むことが出来、トルコ経由で無事に帰国できたのでした。

100年近く経っても胸にとどめ続け、命懸けで行動を起こした

 決死のフライトに駐日トルコ大使は

 「エルトゥールル号の借りを返しただけです」と述べています。

 ちなみにこのとき、日本人を優先させテヘランに取り残されたトルコ人がいます。が、それについて非難するトルコ人は誰一人もいませんでした。

 トルコの人々はエルトゥールル号遭難事故の恩を義理堅く返そうと、日本人を命懸けで助けてくれたのでした。

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