海外メディアをはじめ国内でも物議をかもすことになったラスト10分。これについて「間違っていたと思うか」と質問を受けたマルティネス監督は「まったく批判すべきことではない」と一蹴した。「W杯ではやはり目標を目指すことが大事。監督は重要な決断を下さないといけなかった」と、同じく国を背負う代表チームの指揮官として西野監督の決断を尊重した。続けて「『このままいけば次のステージに進める』というならまったく批判すべきことではなかった。なんでもやって勝ちたいと、思うことはなにも間違えていないと思う」と話し、決勝トーナメントに進んだ日本の戦いぶりに敬意を示した。
基本線を間違えてはいけない
人の評価は仕方がない。毀誉褒貶もどうにもならない。ただ、基本線を間違えてはいけない。
目的や目標をしっかり定め、その目標にできる限り近づくためには、その手段や方法を考えなけらばならない。
その手段や方法が
“過去2戦から6人のスタメンを入れ替えたものの結果は残せず、最後の約10分間はひたすら最終ラインでボールを回して時間を費やし...
だったとすると、他人に批判する資格などあるのかと思う。
結果など二の次。他人の評価など最後だ。
参考記事:
武士道と騎士道
ベルギー、マルティネス監督の「まったく批判すべきことではない」といったコメントや敗退したのセネガル、シセ監督の“フェアプレーポイント”での敗退についてのコメントも相手に対する敬意の現れ。
ただ、敬意とは誰にでも払うべきものでもない。払うべき対象にだけ払えばよいと個人的には考える。無礼なやつに払う必要もないし、わざわざ、無礼者に自身を合わせる必要もないのかもしれない。
相手をしなければ良い。卑怯者とは戦わない、土俵に立たないということ。同席しないということ。外交もそうかも知れない。
...と、わき道にそれましたが、こう言った敬意やリスペクトとは、日本では武士道、欧州では騎士道に由来するものともいわれています。
スポーツマンシップですね。
アリュー・シセ
「我々はフェアプレーポイントの差で突破できなかった。わずかな差で、セネガルは突破できなかった。
なぜかといえば、我々はそれに値しなかったからだ。
それはルールの一つであるのだからね。我々はそれをリスペクトしなければならない。
もちろん、我々は違った形で大会を去ることを望んでいたよ。悲しいことだが、皆これがレギュレーションだとわかっていたんだ。
いまから100年以上前に日本とロシアは戦争をします。
日本国の存続をかけた戦いでもあったのですが、陸軍と海軍が死力を尽くして戦い、薄氷を踏む思いでなんとか勝利を収めることが出来たのです。
とりわけ、陸軍は激戦に次ぐ激戦の末、死者を累々と重ねながらも、旅順攻囲戦で勝利をおさめる事ができました。
このとき軍を率いていたのが乃木希典。この人物もなにかと毀誉褒貶のはげしい人でありました。
乃木希典 (文春文庫) 文庫 – 2007/8/1 福田 和也 (著)
たしかに、人の評価ほど当てにならないものは無いのだと思います。ただ、下の写真からフェアプレーの何たるかくらいは感じ取ることはできる筈です。
『水師営の会見』
旅順停戦条約(1905年)の記念撮影。中央左が乃木希典大将、右がアナトーリイ・ステッセリ中将
おごらず、敗者にも敬意を払う
勝利してもおごらず、敗者に敬意を払うこと。
この写真をおさめたメディア関係者は驚きをもって世界に発信したそうです。公正さが良く表現された写真と思います。
日露に分かれて、血みどろで戦いあっていた両軍が、休戦時間の際に酒などを持ち寄り飲み交わす。
現代の戦争のイメージとはかけ離れており、武士道と騎士道で戦っていたのでしょう。
参考記事:
ルールはもちろんのこと
スポーツのみならず、戦争ひとつとってもルールがあり、それは国際法かもしれないし、ハーグ条約かも知れませんが、いずれにせよルール内で行われる。
ただ、ルールを守っているから何をしても良いとはならない。
そこに人の心が無ければならないし、『武士道』や『騎士道』は、そういったひとのあり方を示したもの。
また、そう言った心を持つもの同士でこそ、戦争のみならず、競技スポーツとして成り立つのかも知れません。
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