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東京医科大が女子受験生を一律減点で賛否も 医療従事者ほど示してこそ。それは高貴なるものの義務かもしれない |更新8/3 映画『劇場版コード・ブルー –ドクターヘリ緊急救命–』雑感 


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“東京医大、女子受験生を一律減点…合格者数抑制”問題 雑感

 

東京医科大(東京)が今年2月に行った医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていたことが関係者の話でわかった。女子だけに不利な操作は、受験者側に一切の説明がないまま2011年頃から続いていた。大学の一般入試で性別を対象とした恣意しい的な操作が明らかになるのは極めて異例で、議論を呼びそうだ。

 東京地検特捜部も、文部科学省の私大支援事業を巡る汚職事件の捜査の過程で、同大によるこうした操作を把握しており、同大は現在、内部調査で事実関係の確認を進めている。

 同大医学科の今年の一般入試は、数学・理科・英語のマークシート方式(数学の一部を除く)で1次試験(計400点満点)を実施。2次に進んだ受験者が小論文(100点満点)と面接を受け、1次の得点と合算して合否が決まった。

 

影響を受けてしまった事も否定できない

 

 個人的に思う事がありました。

 おそらく映画『劇場版コード・ブルー –ドクターヘリ緊急救命–』の影響を受けてしまった事は否定できません。

 ドクターヘリで運ばれたいな、ガッキーに診てもらいたい!(*‘ω‘ *)

 と言うのは冗談として否定するとして、“一律減点”問題について、なんかなとは思いましたね。

 

ドクターヘリ - Wikipedia

新垣結衣 - Wikipedia

 

理解はできる話も

 “女子受験者の得点を一律に減点”が納得できないといった話だと思うのです。

 不平等だ!男女同権事案だ!と言ったところと思いますし、受験生の立場を想像するとはらわた煮えくりかえる気持ちも分かります。

 ただ、考えてください。

 病院に運ばれてくる負傷者や病人が、平等にその不幸が訪れるものなのかと。

 不幸とは平等に訪れるのか。また、幸福もそうか。能力もそう、すべてそうなのか。

 それらは平等に訪れることもなく、不幸だとしても、その状況下を言いわけすることなく生きてゆくしかない。

 患者がそうなら、同様に医師もそう。医師だけが特別なわけでは無い。

 

男女同権 - Wikipedia

競争・資本主義社会で男女同権になると(大体の)女性は死ぬ - Togetter

 

患者も受け入れているので、同様に受け入れて下さい

 患者は不幸と思いつつ運命として受け入れ、その状況下で、何とか日々を楽しくできないかと工夫して生きている。

 また、医師もそう言ったたぐいの事を提案してくる。

 そらそう。正しい。

 仕方がない、環境も含めすべてが影響し、病気やケガとなり、それらを運命として受け入れてゆく。そうやってみな生きている。

 

 思うのです。受験生だから20歳前後?知らないけど。

 ただ、思っているほど思い通りになどいかない。頭も良かったのだから、とんとん拍子に来たのでしょう。その調子で行けると思ったのでしょう。

 

 思うところがあるとするなら、

 その状況下を、不平等、不公平だのと言い訳しながら過ごしたものに、診察などしてもらいたくもないし、治療してもらいたくもない。

 そのくせ、運命として受け入れろ!と来るなら、嫌なこった!と思うのが自然。

 なので、運命と思って受け入れて下さい(*‘ω‘ *)

 また、医師ほどその姿勢を示してこそ。それが高貴なるものの義務かも知れません。

 

ノブレス・オブリージュ - Wikipedia

武士道とは ∼日本におけるノブレスオブリージュ∼

ノブレス・オブリージュ:高貴さは義務を強制する→大衆の逆である

 

映画『劇場版コード・ブルー –ドクターヘリ緊急救命–』川崎チネチッタで見た

 

理解はできなくとも、信じることは出来る   

 いくら、語りかけてもひとつも伝わらないことがある。

 時間を費やしても、費やしても、ひとつも話が伝わらない。また、そうではなく言葉を交わさなくとも通じ合う事もやはりある。

 いずれにせよ、それはたがいの信頼関係のなかで成り立つもので、そこで費やした時間は決して無駄ではなく、相手を信じることに繋がるのではないのか。

 人を信用することに繋がるのではないのか。

 反面、語りかけることもなく、耳を傾けることもない関係性での無理解を信用する事など出来るはずがない。そこに信頼関係など成り立つはずもない。

 

コード・ブルー - フジテレビ

コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- - Wikipedia

チネチッタ | 川崎駅から徒歩5分、12スクリーンの映画館

 

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からだが不自由になるから自由を感じるのか   

 からだが不自由になること、動かなくなることにより、からだがモノであると認識できるようになるのか。

 動かないから、不自由を感じるから、そう心が感じるから思うのか。からだがモノと認識して自由を感じるのか。モノとしての機能性でようやく自由を感じるのか。

 たとえば脳死だったとして、不自由すら感じることがないから不自由ではない、となるのか。では、不自由を感じることがないから自由といえるのか。

 

脳死 - Wikipedia

家族が脳死になったとき - NHK クローズアップ現代+

 

考えること、身体が動くことが自由なのか   

 心がなくともからだがなにがしかの力で動くことができれば自由なのか

 たとえばアルコール依存症や精神疾患だったとして、自由に考えることができるから自由なのか、からだを自由に動かすことができるから自由なのか。

 

依存症 - Wikipedia

精神疾患 - Wikipedia

アルコール依存症 - Wikipedia

 

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考える事すら奪いにくる自由は他者にはない   

 たとえば、そう葛藤していたとして、やはりそこでは自由を感じることが出来ていたとしても、関係性の中で不自由を感じることは多々ある。

 おそらく、冒頭から述べている事も独りよがりで、思い上がりなのかもしれない。たしかに、思い上がりかもしれないが、そう考える事すら奪いにくる自由は他者にはないと考える。

 

 たとえば、それほど時間が残っていなかったとして、以前と同様に過ごすことができなかったとして、もしかすると、このまま終わりだったとしても、ともに過ごした時間は以前とかわらず大事なんだよ。何も変わらず大事なんだよ。

 

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