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take0606の日記

大人ほど姿勢で示すこと。それは次世代を担うものに対する義務 |乃木希典大将から学んだこと...愚直に姿勢で示すこと

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乃木大将と日本人 (講談社学術文庫) 文庫 – 1980/1/8
スタンレー・ウォシュバン (著), 目黒 真澄 (翻訳)

「大きな仕事よりも、むしろ人格によって、その時世に非常な貢献をする人が、三十年に一度か、六十年に一度くらい出現することがある。」

乃木希典大将から学んだこと...愚直に姿勢で示すこと

 

次の世代へと受け継いでゆかなければない無形のもの   

 姿勢を示すこと。大人ほど必要に思う。それは、次の世代へと受け継いでゆかなければない無形のもの。 

 黙々と物事に打ち込みカタチにしてゆくことで、創作物として成立するはず。つまり、クリエイターの事であるが、この言葉は「神」と言った意味合いもある。

 何もないところから、カタチにすると言うこと。ゼロから何かを生み出し価値あるものとして生産すること。

 

クリエイターまたはクリエーター Creator
創作家、制作者。
造物主、創造者。キリスト教などの神 (the Creator)。
創設者、創始者、創立者。

クリエイター - Wikipedia

 

「生産性ある」という観点なら...

 「生産性」という観点なら、優秀なクリエイターほど生産性ある人々はいないとなるが、これは別の話としても、ゼロから価値あるものを生み出す過程で邪心があったなら、どうなるのかとも考える。

 悪意を持って創作したのなら。よこしまな心をもってして、つくり上げたとしたなら...

 もちろん、その心を見抜くことは不可能と思えることから、平素よりクリエイターの姿勢を見てこそとなるし、創作物の是非よりも、その人となりを見るべきと考える。

 物事に対する向き合い方。その姿勢。

 

生産性はより少ない労力と投入物(インプット)でより多くの価値(アウトプット)を産みたいという人間の考えから生まれてきた概念である。リソースとリターンの関係性とも理解される。

生産性=アウトプット/インプット
より少ないインプットからより多いアウトプットが得られるほど、より生産性が高いという関係にあることがわかる。

生産性が高い方法は、生産性が低い方法よりも、より少ないコストで生産ができたり、労働の余暇をふやせたり、利益を沢山上げたりできる。仕組みにも因るが、より多くのアウトプット(付加価値)を実現できる。

生産性 - Wikipedia

 

日露戦争における旅順攻囲戦にて...

 

毀誉褒貶のはげしい人物であった。ただ、人の評価は当てにならない

 

1904年日露戦争   

 日本とロシアは戦争をします。

 日本国の存続をかけた戦いでもあった。陸軍と海軍が死力を尽くして戦い、薄氷を踏む思いでなんとか勝利をおさめる。

 とりわけ、陸軍は激戦に次ぐ激戦。死者を累々と重ねながらも、旅順攻囲戦で勝利をおさめる事ができた。このとき軍を率いていたのが乃木希典。

 毀誉褒貶のはげしい人物であったが、人の評価は難しい。

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『水師営の会見』
旅順停戦条約(1905年)の記念撮影。

中央左が乃木希典大将、右がアナトーリイ・ステッセリ中将

水師営の会見

水師営会見 中央二人が乃木将軍とステッセリ将軍(後列左4人目松平英夫)
旅順要塞を陥落させた後の明治38年(1905年)1月5日、乃木は要塞司令官ステッセリと会見した。この会見は水師営において行われたので、水師営の会見といわれる。会見に先立ち、明治天皇は、山縣有朋を通じ、乃木に対し、ステッセリが祖国のため力を尽くしたことを讃え、武人としての名誉を確保するよう命じた。

これを受けて、乃木は、ステッセリに対し、極めて紳士的に接した。すなわち、通常、降伏する際に帯剣することは許されないにもかかわらず、乃木はステッセリに帯剣を許し、酒を酌み交わして打ち解けた。また、乃木は従軍記者たちの再三の要求にもかかわらず会見写真は一枚しか撮影させずに、ステッセリらロシア軍人の武人としての名誉を重んじた。

敵将(ステッセリ)に失礼ではないか

後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ。

乃木希典 - Wikipedia

アナトーリイ・ステッセリ - Wikipedia

日露戦争 - Wikipedia

旅順攻囲戦 - Wikipedia

 

乃木大将の姿勢から見てとれる

 

乃木希典 (文春文庫) 文庫 – 2007/8/1 福田 和也 (著)

 写真に収めたメディア関係者は驚きをもって世界に発信したそう。

 弱さを知り、自身を律することで徳ある人間であろうとするさま、厳格さ公正さを貫こうとする乃木自身がよく表現されています。

 また、武士道と騎士道で戦っていたのだ、と言うことも理解できるはずです。

 

アイドルグループ乃木坂46の“乃木坂”の名の由来は...

 死後、乃木神社に祀られている。

 日本国内に複数の乃木神社があり、乃木の出身地の下関市や別邸のあった那須塩原市など、乃木ゆかりの地に多い。

 また、アイドルグループの乃木坂46の“乃木坂”の名の由来とは...

 

 乃木坂は、江戸時代には幽霊坂と呼ばれていた。

 南側には麻布今井町、通称赤坂今井谷があり、北側は上から今井町、周防岩国藩吉川家下屋敷、交代寄合松平家下屋敷、青山組屋敷と続いた。幕末に松平家下屋敷は越後長岡藩牧野家下屋敷となった。

 明治以降、北側が赤坂新坂町、南側が赤坂檜町。赤坂一帯には軍関係の施設が点在したため、当地域にも軍人が移り住み、その中に乃木希典もいた。

 1912年(大正元年)9月、学習院院長であった乃木希典大将の殉死を悼み、赤坂区議会が改名を議決したことに由来しているそう。

 また、境内社・赤坂王子稲荷神社は、乃木夫妻が崇敬していた王子稲荷神社を勧請して昭和37年に創立されたそうです。

 

乃木神社 - Wikipedia

乃木坂46 - Wikipedia

乃木坂 - Wikipedia 

那須塩原市 - Wikipedia

王子稲荷神社 - Wikipedia

 


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