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take0606の日記

長嶋一茂「引きこもりは自分のせい」「親のせい?社会のせい?そんなの社会で通用するわけないよ」雑感 |更新8/30 プレイングマネージャーだった南海時代 選手としての成績は前年を大きく上回る

“親の七光り”と批判を向けるのはバカでもできる

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その安直さが理解を阻む

 長嶋一茂が言うからこそ重みがある。また、真実味があるのだと言える。

 “親の七光り”と批判を向けるのはバカでもできるが、「引きこもりは自分のせい」「親のせい?社会のせい?そんなの社会で通用するわけないよ」の言葉の真を捉えるのは想像以上に難しいかもしれない。

 国民的スター長嶋茂雄を父に持つことの心境を察することなど、誰もできるはずが無い。そう言った心から発せられた言葉を理解するには、余りにも父が偉大すぎると言えるし、何かに置き換えて理解する作業も難しい。また、比較となるものもない。

 何せ戦後日本最大級のスター選手だったのが父長嶋茂雄。だからこそ、その心の苦しみを知ることは、本人以外に出来るはずもない。

 “親の七光り”との批判はお門違い。

 

長嶋一茂 - Wikipedia

長嶋茂雄 - Wikipedia

 

ヤクルトスワローズに入団も“ID野球”に馴染めずノイローゼに

 東京六大学リーグの立教大学でプレーしヤクルトスワローズにドラフト1位で入団する。大洋ホエールズ(現DeNAベイスターズ)と競合するが、当時ヤクルトの監督だった関根潤三が引き当てる。

 当時のヤクルトスワローズは決して強いチームとは言えなかったが、“長嶋の息子”と言うこともあり、非常に注目され期待もされた。が、周囲の思いとは裏腹に成績も振るわず、1990年に野村克也が監督に就任以降、いわゆる“ID野球”にまったく馴染めなかったことも不振に拍車をかけ、ノイローゼにまで陥った。

 

関根潤三 - Wikipedia

野村克也 - Wikipedia

1987年度新人選手選択会議 (日本プロ野球) - Wikipedia

東京ヤクルトスワローズ公式サイト Tokyo Yakult Swallows

横浜DeNAベイスターズ

 

大人に嫌気がさし野球から逃げた少年時代

 注目というなら、野球を始めるころからそうではなかったか。

 父は国民的な大スター長嶋茂雄。その長男として生まれ、それこそ、赤子のころから期待され、奇異の目で見られることもあったのではないのか。それは、どこに行ってもそうだったのだろうし、少年野球時代も同様にそうなのだろう。

 マスコミや父に取り入ろうとする大人にも嫌気がさし、野球を一度やめたときく。ただ、野球への愛が覚めたわけでもなく、そういった大人から逃げただけと言える。

 高校は「父親と同じ立教で野球をやりたい」との思いから、立教高等学校に進学し、野球への思い、父への思いを貫こうと決意したのだろう。

 

マザコン批判も父と家族のために

・タレントでスポーツキャスターの長嶋一茂が日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』に出演
・一茂は男の甘えは、経験による学習ではなく遺伝子レベルの問題であると発言した
・明石家さんまは一茂と自分にしか当てはまらない理屈だと指摘、SHELLYは猛反論した

 

たしかにマザコン男がその理由を正当化しているだけにも見えるが...

 番組内での発言だけを取り上げると、マザコン男がその理由を正当化しているだけにも見える。ただ、その一面だけで理解となるはずが無いし、バラエティーの収録で辛い過去を赤裸々に話すはずも無い。

 それは、面白おかしくタレントさんが演じているだけ。

 また、演者同士で長嶋家の事情も最低限理解しているのではないか。ましてや、巨人ファンの明石家さんまが知らないはずが無い。つまり、みな演じて楽しく盛り上げている。視聴者のために道化を買って出ている。

 

SHELLY - Wikipedia

明石家さんま - Wikipedia

踊る!さんま御殿!!|日本テレビ

巨人ファン : 巨人ファンを公言している有名人

 

「内部では滅茶苦茶で、家族はとうの昔に崩壊していた」

 他人から映る長嶋家と本当の長嶋家の姿は乖離していたとの話も聞く。

 家族団らんなど全くない家庭で育ち、家族6人そろって食事さえした事がなかったとも聞く。家族で旅行した記憶も無いのだそう。また、中学から家を出て寮生活をし、弟の長島正興とも数年間顔を合わせることもなければ、妹の美奈ともあって年に1回だとか。

 一茂いわく「内部では滅茶苦茶で、家族はとうの昔に崩壊していた」のだそうだ。

 

人一倍渇望していたが、道化を買って出てでも守りたい

 家族の愛に飢え、人一倍父に認められたいと願っていたのではないか。また、母に対しても同様にそう思っていたのかもしれない。

 愛されたいと願う心がマザコンとなって表れたと言えるが、「男の甘えは、経験による学習ではなく遺伝子レベルの問題である」といった発言も一茂自身の優しさとも言える。また、国民的スター長嶋茂雄の顔に泥を塗りたくないとの一心で、環境や境遇から得られる経験のせいにするのではなく、遺伝子レベルとすることでマザコン男の批判を一身に浴びたとなる。

 その行為は、道化を買って出てでも、父や育んでくれた家族を守りたかっただけかもしれない。

 

長島正興 - Wikipedia

長島三奈 - Wikipedia

長嶋一茂の生い立ち偉大な父に帰国子女の母に嫁ホステスで妹大反対 | 生い立ち〜今

長嶋一茂のテレビ番組での活躍の礎となっているのはパニック障害で苦しんだ経験だった - wezzy|ウェジー

 

“ID野球”の野村克也

 今回、彼に尋ねたのは、野村克也監督率いるヤクルトと、森祇晶監督率いる西武が激突した「92年、93年日本シリーズ」についてだった。92年秋に復活登板を果たした荒木は、92年は第2戦と第6戦、93年は初戦の先発投手を任されているが、この3試合を中心に聞いたのだ。僕が特に知りたかったのが、93年の初戦についてだった。
 西武球場で行われた第1戦の1回裏、西武の攻撃。荒木は1番・辻発彦にいきなり死球を与える。さらに一死後、今度は3番・石毛宏典にもデッドボール。このときの心境を僕は知りたかった。当時の映像を見ながらインタビューを進める。憮然とした表情を浮かべる辻、そして、右手を抑えながら苦悶の表情を浮かべる石毛。いずれの場面でも、荒木の表情に変化は見られなかった。荒木は言う...

 

腐っていたら、とにかく変化が必要

  当時のヤクルトスワローズは決して強いチームとは言えなかったが、“野村再生工場”ともよばれた手腕を発揮し、読売巨人軍と比較しても少ない手ごまをやり繰りして勝利に導いた。

 伸び悩む選手や他球団で戦力外となった選手を、コンバートや起用法に変化を加え再生させるもの。それは、環境の変化を加えることにより対象の変化を促すもの。実力はあるものの水が合わず腐っている者に変化を促す。これは、様々なジャンルにみられる普遍的なことと考えて良さそう。

 腐っていたら、とにかく変化。

 

野村再生工場の選手たち

読売巨人軍公式WEBサイト

 

少ない手駒をいかに運用して勝利に導くかが腕の見せ所

 野村克也氏に悪意があったとは思わない。

 上述に「1990年に野村克也が監督に就任以降、いわゆる“ID野球”にまったく馴染めなかったことも不振に拍車をかけ、ノイローゼにまで陥った」と、あるが、ノイローゼにする意図などある筈もなく、また、一茂自身も恨みつらみを言うような人間とも思わない。

 “ID野球”の犠牲者と言えば犠牲者だが、チームの方針に合わなかっただけのこと。監督の戦略に合わなかっただけのこと。どこでもある話。ただ、ついていないのも確か。

 少ない手駒をいかに運用して勝利に導くかが、スポーツチームの監督の腕の見せ所と言えるし、“野村再生工場”や“ID野球”などといった言葉で表現されるほどの名監督だったのも事実。

 

多様な個性を持った面々を適切に配置してこその日本一   

 上述リンク内の荒木大輔に関してもそう。球威のない荒木を運用し勝利に導く。選手の個性を知り、適切に運用する。

 適材適所に多様な個性を持った面々を配置してこその日本一といえる。決して、突出した戦力だけで勝利がつかめるものでも無いのがプロ野球とも言える。

 

荒木大輔 - Wikipedia

ヤクルトスワローズ優勝の歴史 - NAVER まとめ

 

関連記事:

take0606.hateblo.jp

 

プレイングマネージャーだった南海時代

選手兼任監督(せんしゅけんにんかんとく)は、スポーツのチーム競技において、監督業をこなす兼業選手のことを言う。プレイングマネージャー、プレイヤーコーチ、プレイングコーチとも呼ばれる。

なお、選手兼任監督と呼ばれるのは選手・監督いずれも同一チームに所属する場合を意味し、選手としての所属とは別のチームで監督を務める場合(時折見られるものとして教員団やクラブチームなど所属の社会人選手が出身あるいは勤務先の大学や高校の監督に就任するというケース)は使われない。

選手兼任監督 - Wikipedia

 

高卒のテスト生からのたたき上げ   

 35歳だった野村克也氏は、1軍の主力でもあったことから監督就任の要請があることなど微塵も無かったのだそう。また、30歳に差しかかったころから引退後のことを考えていたが、プロ野球の世界も学歴社会であることから、監督になることなど考えもしなかったのだそうだ。

 

谷繁元信が今だから語る「プレーイングマネージャーの苦しさ」|プロ野球|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

“考える野球”の礎を築いた、ノムさんのプレーイング・マネージャー時代 | 【3月毎日更新!】一流の秘密、30問30答・野村克也さん

「プレイングマネジャー」が絶対やってはいけない仕事の仕方 | 「いまどき部下」を動かす39のしかけ | ダイヤモンド・オンライン

 

1970年南海ホークスの監督に就任   

 プロ17年目に南海ホークスの監督に就任。プレーイングマネージャーとして、監督、4番バッター、キャッチャーの一人三役をこなすことになった。

 “チームの鑑”である4番バッター、“守備の要”であるキャッチャーとしてプレーに集中すると同時に、監督としても客観的に試合の流れを読み采配を振るわなければならない。精神的、肉体的な負担は計り知れない...

 

“一人三役をこなす”   

 監督、4番バッター、キャッチャーと役割も求められるのも違う...そこで、思いました。並列読書術に似ていると。

 

本は10冊同時に読め!―生き方に差がつく「超並列」読書術 単行本 – 2013/3/1
成毛 眞 (著)

 超並列読書をすれば、幅広いジャンルの本を同時に読み、異なるベクトルの情報を組み合わせる作業を繰りかえすので、相手が話している話と自分がすでに知っている話を組み合わせて理解する作業が自然にできるようになるし、同時にそれらをわかりやすい言葉に変換するための語彙力も高まってくる。つまり、超並列読書によって、豊富な知識と語彙力、理解力、コミュニケーション力が身につく。つまり、地頭が高く、一目置かれる人材として周りから認められるだろう。

超並列読書で地頭力を鍛える - 関口ゼミのページへようこそ!

 

脳自体が活性化される可能性も   

 様々なジャンルの本を同時に複数を並列に読むことにより、幅広く知識を得る事もできる。また、飽きが起きづらい。飽きたら他の本を読めばよいし、一冊にこだわるとつっかえたり飽きたら、読書そのものを止めかねない。また、ジャンルにより、使う部位も違うかもしれないから脳自体が活性化されると、何かに記述されていた事を思い出した。

 

本が読めない人ほど『本は10冊同時に読め!』 - たわしの帖

知識がつながり集中力も持続する。2冊以上の『並列読書』で効率的に本を読め! | コラム

 

選手としての成績は前年を大きく上回る   

 一人三役をこなせてる時点ですでに優秀と考えられるが、1970年にプレイングマネージャーに就任し激務をこなしているにも拘わらず、選手としての成績は前年を大きく上回り、シーズンフル出場も果たしている。

 もちろん、苦労も絶えなかったと思うが、野球そのものの理解が深くなったと言うことではないか。また、それは選手としても。たしかに難しさや苦しさもあるのだろうが、成し遂げた時の喜びは人一倍となるのだと思う。

 

野村克也 打撃成績 

1969年  本22 打点52 打率.245

1970年  本42 打点114 打率.295

通算:26年 本657 打点1988 打点.277  

野村克也 - Wikipedia