たけさんのzakki

take0606の日記

炎天下の某日“表現の自由”のお勉強のため御茶ノ水へ |更新10/4 保守思想とは、オトナであること。ミーハーB層はコドモ...気に入らないのは、その“勝てば官軍感覚”

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正教会の大聖堂。建築様式はビザンティン・リバイバル。1891年、ミハイル・シチュールポフの原設計、ジョサイア・コンドルの実施設計で竣工。通称「ニコライ堂」は、日本に正教を伝えたロシア人大主教聖ニコライにちなむ。

関東大震災でドームと鐘楼が倒壊したが、1929年に岡田信一郎の設計で復興。建立当初より、日本の正教会の中心として活動している教会である。

ニコライ堂 東京復活大聖堂教会/東京の観光公式サイトGO TOKYO

ニコライ (日本大主教) - Wikipedia

岡田信一郎 - Wikipedia 

ニコライ堂 - Wikipedia

“表現の自由”のお勉強のため御茶ノ水へ

ニコライ堂を見てきた

 某日の炎天下、御茶ノ水まで自由探しwをして来ましたねぃ(*‘ω‘ *)

 何かをつかめた様な気もしました。すこし早めに着いたこともあり御茶ノ水駅周辺をウロウロしてみました。湯島聖堂もよってみようと思いましたが、時間もなく暑かったこともあり断念。目的の自由探しwの勉強をして来ました。

 トップ画像は僕が撮ってきましたよ(^_-)-☆

御茶ノ水 - Wikipedia

湯島聖堂 - Wikipedia

史跡湯島聖堂 昌平坂学問所|史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会

日本初の本格的なビザンティン様式の教会 

  ニコライ堂は建築面積は約800平方メートル、高さは35メートルのドーム屋根が特徴的。また、日本で初めての本格的なビザンティン様式の教会建築なのだそう。

 1891年に竣工し、関東大震災で大きな被害を受けた後、一部構成の変更と修復を経て現在に至った。1962年6月21日、国の重要文化財に指定される。

ビザンティン建築 - Wikipedia

関東大震災 - Wikipedia

関東大震災の瓦礫を埋め立て造成したのが横浜・山下公園

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1930年(昭和5年) 3月15日に開園「日本最初の臨海公園」

 別の話をすると、関東大震災で出た瓦礫を使い、復興事業として横浜市助役だった楢岡徹らが海を埋め立て造成したのが山下公園。

 1930年(昭和5年)3月15日に開園し、面積は 74,121㎡ 。なお、横浜市は「日本最初の臨海公園」としている。

 開園後40年に渡り、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、後に東の隣接地に山下埠頭が造成された。現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されているのだそう。

山下公園 - Wikipedia

山下公園に行ってきた!アクセスや見どころ・周辺情報まで完全網羅

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インド水塔   

 関東大震災の際に、横浜市がインド商人をはじめとする外国商人の救済措置を積極的に講じた謝礼として、インド商組合から寄贈されたものです。華麗なモザイク模様のドームのイスラーム建築をはじめ、その意匠は様々な要素がたくさん組み合わされています。

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氷川丸   

 日本郵船が1930年(昭和5年)に竣工させた日本の12,000t級貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2016年時点では、横浜市で博物館船として公開されている。国の重要文化財(歴史資料)に指定されている。

氷川丸 - Wikipedia

インド水塔 - Wikipedia

イスラーム建築 - Wikipedia

スクラップアンドビルドを感じる事もできます

 関東大震災で被害をうけるも、“一部構成の変更と修復”を行い、後に国の重要文化財に指定されたり、また、震災時の瓦礫を横浜の海に埋め立て造成し、「日本最初の臨海公園」に再生させるなど、命を吹き込みより良くつくりかえているところにもスクラップアンドビルドを感じる事もできますし、いまの日本に求められているのかも知れませんね。

重要文化財 - Wikipedia

国指定文化財等データベース

スクラップアンドビルド - Wikipedia

「新潮45」の休刊を公式サイトで発表「深い反省の思いを込めて」...

ざっくり言うと
・新潮社は25日、月刊誌「新潮45」の休刊を公式サイトで発表した
・十分な編集体制を整備しないまま刊行を続けてきたことを謝罪した
・「深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました」としている

気に入らないのは、“勝てば官軍感覚”“寄らば大樹の陰”のミーハー感覚

 僕なりにこの件を考えてみる。

 たとえば、「新潮45」という月刊誌が社会で果たしてきた役割というモノがあるのだと考える。また、部数低迷もあり、チェック機能が上手く働いていなかった、と言うことも理解できる。もちろん、その事を理由として人を...この場合は杉田議員となるが、代弁者である議員を袋叩きにしても良いとはならない。

イジメは戦後日本の様式美   

 ただ、似ている...この件とその“勝てば官軍感覚”が似ている。“寄らば大樹の陰”のミーハー感覚が似ている。袋叩きができそうな対象が見つかれば何でもよいのだろう。

 次の標的が「新潮45」だっただけ。ただのリンチとも言えるし、そう言ったイジメ感覚が気に入らない。右も左もそのイジメ感覚が気に入らない。

 イジメは戦後日本の様式美らしいね(^_-)-☆

右も左もイジメ感覚で出来ている。イジメは戦後日本の様式美

 ネトウヨが“生きんがための戦い”を理解できていない事が致命的。先の大戦をどこまで理解できているのか。なにと戦っていたのか。どう言った悪意と戦っていたのか。

 すこしでも先達の想いを汲むことが出来たなら、“数の暴力”など振るえるはずもない。極東国際軍事裁判においてパール判事が代弁したものを少しでも汲みとれたなら、そのイジメ感覚を恥じるはずだが。ネトウヨにその恥が無いことも致命的。

ラダ・ビノード・パール - Wikipedia

極東国際軍事裁判 - Wikipedia