こじらせ"S”さんのzakki

“cross”“十字”になりました絶対に(*‘ω‘ *) "通信、紙媒体、J-ROCKの三位一体でこそ” “G” “7”

多様性の追求とは自由の中にしかない。心が自由だから多様な心であれる。また、それを許すのも自由な心

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 結局、徹夜となってしまっている。ただ、それも慣れっこで驚くことでもない。

 ショートスリーパー仕込みの自分としては、別に。それほどでも。2年位前、現在より、より絶体絶命時の頃などは、歩きながら眠り、気を失っていたこともあったか。

 そのさまを見ることを横でしなくてはならなかったのも、辛い思いにさせていたのだろうと、いまなら、そう考えられるのだ。当時は、そんなことを少しも考えることなく、今できることをやる以外なかった。道は開けることはないからと、その子のことを無視して続けた。

 

 自由を追い求めたさまのような話に思う。もちろん、自分は一銭にもならないことを24年間続けているという事になるが、平等という発想からは、こういった話は、絶対に出てこない。平等からは、こういった話は聞けない。妄想やフィクションだよ。ただの嘘。

 たとえば、プロ野球選手やサッカー選手のなかには、年収10億を超える選手もいるのだろう。それも、自由を追求したさま。自由を追い求めた中に、そういった話が出てくる。ただ、平等からは出てこない。平等からは、そういった発想も、努力も出てこない。人と同じようにしかやらない。

 

 自由の中から、様々な発想が生まれ、様々なモノコトがつくられる。様々な文化があり、多種多様な人々の心を尊重することは、自由の中でしかできない。多様性の追求とは自由の中にしかない。心が自由だから、多様な心であれるし、それを許すのも自由な心。平等にその発想があるとは思えない。

 自由な心の中から、自由であれたり、平等であれるし、心でしか自由を感じられない。また、心が何から自由を感じるかは、人によっても違う。それも多様な心。多様な文化。

 人の心から感じるものもあれば、モノからしか感じないものもいるし、カネでしか考えられないものもいる。ただ、それすら多様な心。そのひとが置かれた状況や育った環境により変化もみられるし、能力でも変化がある。ひとのタイプでもそうか。貴賤はない。 

 

 どういった状況なのか、また、環境で過ごしてきたのかで、その人自身がなにに重きを置いているのか、イメージはわくはずだ。“ヒトモノコト”どれに重きをおくのか。

 人によって違うし、状況によっても違う。その都度変化もあるから、確認は必要か。