#2“kizunaロートシルト”さんはROCKが好き “9”

通信・J-ROCKは好相性 「ABCDEJは必須」 「一神教で母が好き」 電通で電気でヒカリエで東急でauの子 ROCK(青2黒2赤18)=22 “6915”

上京して24年の本音....“スケープゴート” |心と文化がモノや損得勘定に負けた 物量の悪意に負けたといえる

スケープゴート(英: scapegoat)は、「身代わり」「生贄(いけにえ)」などの意味合いを持つ聖書由来[1]の用語。「贖罪(しょくざい)の山羊」等と訳される。

原義としてはヘブライ聖書において、贖罪の日に人々の苦難や行ってきた罪を負わせて荒野に放した山羊を指した。

現在の意味はこのやや宗教的な意味合いから転じて、不満や憎悪、責任を、直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁することで、それらの解消や収拾を図るといった場合のその不満、憎悪、責任を転嫁された対象を指す。簡単な使われ方として、事態を取りまとめるために無実の罪を着せられた「身代わり」や、無実の罪が晴れた場合の「冤罪」などが存在する。

政治の一つの手法として使われる意味合いとしては、方針や主義に不利益とされる小規模な集団や社会的に弱い立場の人間をスケープゴートとして排除するなどして、社会的な支持や統合を目的とするといったものもある。具体的には、第二次世界大戦中のナチスが行ったホロコースト(この言葉も聖書からきている)は、ユダヤ人をスケープゴートの対象としたものであることが挙げられる[2]。また、ユダヤ人は上述のホロコースト以外でもあらゆる時代や地域で差別を受けているため、スケープゴートとして犠牲になるまえに、他の地域へ移住することによって難を逃れることもある[3]。

スケープゴート - Wikipedia

“スケープゴート”

“日本”というもの“障害”を抱えていたのも理由

 上京して24年になるが、“スケープゴート”として扱われていたのだろう。“日本”というものも理由になっていたのだろうし、障害を抱えていたのも理由になっていたか。いじりやすかったのだろうし、ストーカー行為というものも、相当早い段階から、散見されていた。当時を振り返ると、そのように感じられる。

 2006年夏足立区某所に入院することなるが、その場でも良くない事に巻きまれてしまう。良くない事が行われたらしい。分からないところでもあるが、記憶も失われているので、退院後の母から証言でイメージするしかないが、どうも“良くないこと”があったという事になりそうです。

 以降、人間不信が深刻化し、治療がとどこおってしまう。それを見かねた人々からの支援もあったが、その人々も巻き込まれてしまい、“良くないイメージ”が占めしてしまう。寝起きはひどいもの。避けるように咳き込むことも。

 “トラウマ”ということか...

 

黄色い星―ヨーロッパのユダヤ人迫害 1933‐1945

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心がモノや損得勘定に負けた結果ともいえる

 "人の顔がイメージできるもの”が良いのだろうと考えていた。

 それこそ、面と向かっていれば良いのだろうと考えていた。が、違った。上京してから考え方が一変した。

 それも、通用しなかった。

 その表現から、その文言から、その人となりがイメージできるからこそ、"言霊”と言ったものになるのだろう。イメージできるから、その人のこころが宿る。拙くとも言葉を丁寧に選んだからこそ、その言葉に心が宿るはずなのだ。

 "言霊”というならそういうもののはず。

 いい加減なものに宿っているはずがない。たとえ、上手な表現だったとしても、宿っているはずがない。

 

言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。

他の文化圏でも、言霊と共通する思想が見られる。『旧約聖書』の「ヘブライ語:רוח הקודש」(ルーアハ)、『新約聖書』では「希: πνεῦμα, pneuma」(プネウマ。動詞「吹く(希: πνέω, pneō)」を語源とし、息、風を意味する)というものがある。「風はいずこより来たりいずこに行くかを知らず。風の吹くところいのちが生まれる。」この「風」と表記されているものが「プネウマ」である。

一般に、音や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きがあるとされる(例:拍手 (神道))。これは洋の東西を問わず、祭礼や祝い、悪霊払いで行われる。神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓、中華圏での春節の時の爆竹などはその一例である。

言霊 - Wikipedia

心を込めて紡いだものにしかない “言霊”

 言葉だけでなく、あらゆる、つくられたもの全てそうなのだろう。心を込めてつくられたとイメージできるか否か。それは、顔が分かる分からないという話ではない。面と向かっているから良いというものでもない。

 人のこころを知ることは難しくなった。

 こころを聴くことは出来なくなってしまったのかも知れない。日々の中で繰り返しおこなう以外ないのだろう....

 上京してから、そういった考えになってしまった。生産者が分かる野菜というものを手に取り考えてしまった。もちろん、野菜が悪いわけでもなければ、生産者が悪いわけでもない。

 

心の良し悪しが、すべてのイメージを支配する

 人のこころの良し悪しは、"見える見えない”で決まるものでもないな、と考えるようになった。何処にいようがダメなやつはダメだ。目の前であれ、遠くであれ。

 人のこころの良し悪しが、すべてのことを決めてしまう。

 あらゆることすべて。東京に来て痛切にそう感じた。もちろん、東京が悪いと言いたいわけではない。たまたまかも知れないが、まわりもそうなら、あらゆる事すべて、疑うようになった。

 今もそうかわらない気持ちにある。

 その結果が友人"ゼロ”ということになる。

 心と文化がモノや損得勘定に負けた結果ともいえる。

 

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