『中森明菜in夜のヒットスタジオ』 横浜地下街でデビュー前の中森明菜さんを見かける

小さい頃から映画を観に行く機会

横浜の地下街でデビュー前の中森明菜さん

 下記リンク内にもある通り、小さい頃から映画を観に行く機会が頻繁にあり、その日も母に連れられ横浜の映画館に見に行きました。

 鑑賞後、食事をすることになり、横浜駅西口の地下街に向かう。すると、デビュー前の中森明菜さんが、営業をしていました。

 

中森明菜 - DESIRE 


中森明菜 - DESIRE

どちらかといえば断れないタイプ。優柔不断

 のちに音楽番組に出演した際、"この間見かけた子だよ”と母。以降、気にかけるようになったことを想いだされます。

 ご近所の幼馴染が、中森明菜さんのレコードをかけ、それに合わせて歌う。

 当時から、どちらかといえば断れないタイプ。優柔不断。失礼かもしれかも知れないが、いうなら、仕方く聞いている。場にあわせているだけ。今想うと情けないが、そんな幼少期にだったようです。 

 

中森 明菜(なかもり あきな、1965年7月13日 - )は、日本の歌手である。松田聖子とともに80年代アイドルの双璧。

本名同じ。東京都大田区生まれ、清瀬市育ち。明治大学付属中野高等学校定時制中退。研音、コレクション、コンティニュー、N.A.P.C、楽工房を経てFAITH(ファイス)所属。所属レーベルはユニバーサルJ、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ。血液型A型。

中森明菜 - Wikipedia

中森明菜 in 夜のヒットスタジオ [DVD]

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西武球場 阪神から移籍 田淵幸一さん

映画『がんばれ!!タブチくん!!』主人公

 いとこのお姉さんに連れられ、所沢球場(西武ドーム)で野球観戦もしました。

 当時は、ドーム球場ということもなく、外野席は芝生だったりもして、開放感もあり、風も感じられた。気持ちよく過ごすことが出来ました。

 映画『がんばれ!!タブチくん!!』主人公のモデルとなった田淵幸一さん。

 1978年阪神タイガースから、西武ライオンズに移籍。以降1984年まで現役をつづけ、現役生活16年、通算本塁打474本。キャッチャーというポジションを考えると、ホームランの数は多い。また、盗塁阻止率もWikipediaを参照したところ、時代も違うし単純な比較は出来ないかも知れないが、.422と数字は高い。

 

田淵 幸一(たぶち こういち、1946年9月24日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)・指導者(福岡ダイエーホークス元監督、コーチ)、野球解説者、阪神タイガースOB会会長(第6代)。

株式会社タブチエンタープライズ所属(生島企画室にも業務提携で在籍)。ニックネームは「ブチ」「ブッちゃん」「タブタ」「オッサン(東尾修が使用)」。3代目ミスタータイガースとも称される。

田淵幸一 - Wikipedia

1985年日本S 西武ライオンズvs阪神タイガース

 田淵幸一さんが引退した翌年の1985年、西武ライオンズと阪神タイガースが日本シリーズで雌雄を決することになるのですから、興味深く記憶としてとどめております。

 小さい頃から、野球と映画にふれる機会が多かったことも影響してか、ともに好きでした。

 家族と地元にある映画館にレイトショーを見に行ったりもしました。当時、映画に出演していた俳優さんをテレビなどで見かけると、内容とともに記憶として思いだされます。

 

西武ドーム(せいぶドーム)は、日本の埼玉県所沢市にあるドーム球場である。プロ野球・パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の埼玉西武ライオンズが本拠地としている。施設は西武鉄道が所有し、株式会社西武ライオンズが運営管理を行っている(一部の施設運営・管理・警備・清掃業務は協栄などに外部委託)。

当初は屋根が無い西武ライオンズ球場(せいぶライオンズきゅうじょう)だったが、のちに屋根を架設してドーム球場となった。ドーム架設以前は西武球場の通称表記が多用されており、最寄り駅の駅名はドーム架設後も変わらずに西武球場前駅である。

西武ドーム - Wikipedia