キュウソネコカミ『ハリネズミズム』 大河ドラマ「麒麟が来る」にも登場する斎藤道三 僧侶から下克上を果たし大名へ

キュウソネコカミ 

由来 FFX-2装備アイテム “キューソネコカミ”から

  “キュウソネコカミ”

 名が気になるところ。近くのコンビニで昼食を買い求めていたところ、冊子の表紙に“キュウソネコカミ”、以前から、その名が耳に残っていた事から、もらってくる事にました。

 ことわざだとは、分かってはいたのですが、ひとまず、調べてみる事にしました。

キュウソネコカミ - 「冷めない夢」 


キュウソネコカミ - 「冷めない夢」

キュウソネコカミは、日本の5人組ロックバンドである[1]。2009年12月に関西学院大学の軽音楽部の同期を中心に兵庫県で結成された。

2010年より神戸、大阪を中心に活動している。バンド名の由来の一つとして『ファイナルファンタジーX-2』に登場する装備アイテム「キューソネコカミ」[3] のほか、ことわざの一つである「窮鼠猫を噛む」(きゅうそねこをかむ)が由来である。

キュウソネコカミ - Wikipedia 

絶体絶命まで追い詰めると弱い者でも強い者に逆襲

 「きゅうそねこをかむ」

  下記引用にもあるように、 

 “ 絶体絶命の窮地に追い詰められれば、弱い者でも強い者に逆襲することがある”というたとえ。

  そのようになるのでしょうね、下克上にも似ているのでしょうか。分からないところでもありますが。

 

【読み】 きゅうそねこをかむ

【意味】 窮鼠猫を噛むとは、絶体絶命の窮地に追い詰められれば、弱い者でも強い者に逆襲することがあるというたとえ。

窮鼠猫を噛む - 故事ことわざ辞典 

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ハル・ノートのようなものを突きつけられたら…

 似たような古事は他にもあり、 たとえばハルノート。

 下記引用にもある通り、

 “ハル・ノート(Hull note)は、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前の日米交渉において、1941年(昭和16年)11月26日(日本時間11月27日[1][注釈 1])にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。正式には合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)と称する[2]。”

 太平洋戦争海戦直前の日米間の交渉において、提示された文章。最後通牒になっており、

 「ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような小国でも、矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」パール判事の一節。

 「きゅうそねこをかむ」と同じ様なものになっており、追い詰められた日本がアメリカに立ち向かったことを表現したものとなっており、極東国際軍事裁判でインドのパール判事が日本の正当性を訴えたものとなっている。

 

ハル・ノート(Hull note)は、大東亜戦争(太平洋戦争)開戦直前の日米交渉において、1941年(昭和16年)11月26日(日本時間11月27日[1][注釈 1])にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている。正式には合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)と称する[2]。

冒頭に「厳秘 一時的且拘束力ナシ」[3](Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment)という但し書きがあり[注釈 2]、アメリカ政府の正式な提案ではなく、ハルの「覚書」という側面がある[7]。日本で「ハル・ノート」という通称が用いられるようになった時期は明確ではないが、戦後の極東国際軍事裁判前後だと考えられる[8]。アメリカでは1941年11月26日アメリカ提案[9]、あるいは"Ten Points"とも呼ばれている[10]。

ハル・ノート - Wikipedia 

パール博士「平和の宣言」

パール博士「平和の宣言」

下克上を体現した 斎藤道三

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」にも登場する

 大河ドラマや、歴史物のドラマも好きで、なにかとお世話になりました。幕末や戦国ものが好みのようで、小説などを読むことも多かったようです。

 NHK「麒麟が来る」が放送されており、明智光秀が主人公として描かれている。ちょうど、斎藤道三のところに身を寄せているあたりになるのでしょうか。

 斎藤道三は、もともと、油売りから身を起こし、商売を始める。事業を拡大して行き、やがて、一国一城の主人として、美濃を治めるまでに至り、下克上を体現したとも言えるのでしょう。 

斎藤道三「マムシ」僧侶から下克上を果たし大名へ 

 斎藤道三も、もともと僧侶。油売りから身を立て、商売を始める。商才も持っており、事業を拡大。徐々に力を蓄え、一国一城の大名にまでなる。また、自分の娘を織田信長に嫁がせ、義理の父の関係になる…

 Wikipediaを確認したところ、画像からも、僧侶だった事がうかがえる。こちらも、skinhead言える。

 

斎藤 道三/利政(さいとう どうさん/としまさ)は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。

名としては、長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。美濃の蝮(マムシ)という綽名でも知られる。

斎藤道三 - Wikipedia 

国盗り物語(二) (新潮文庫)

国盗り物語(二) (新潮文庫)

二四六九士(読み)にしむくさむらい

小しようの月(2月・4月・6月・9月・11月)覚えやすく 

  “西向く侍”

 神奈川時代のご近所さんのお父さんが話してくれました。日曜日に遊びに行く事も多く、また、幼なじみの子もいることから、何かとお世話になりました。その節は有難うございます。

 将棋なども教えてくれたかとも思うのですが、こちらにはあまり興味を示さなかった様でした。また、Nゲージで遊んだこともありました。

 ある日のこと、

 “にしむくさむらい”

 耳慣れない言葉を言っている。確認してみたところ、下記引用にもある様に、1年のうち、31日に満たない月を覚えやすくしたものになっており、“にしむくさむらい"に数字を割り振ると、“二四六九士”となり、“2月・4月・6月・9月・11月”は、みたない月と簡単にわかるらしい。 

 そんなことを話していた事を思い出した。

 

〔「士」は十一を一字にしたもの。西向く侍の意〕
小しようの月(2月・4月・6月・9月・11月)を並べて覚えやすくしたもの。

徳川家康 幼名“竹千代”江戸幕府を開府 征夷大将軍になる

 母が栃木の人ということもあって、日光東照宮に、何度か訪れることもできました。華厳の滝もみて回ることもできましたし、いろは坂も、親戚のおじさんの運転で登ることもできた様です。有難うございました。 

 これまで、徳川さんのことをあまり考えたこともなく、どちらかというと関西方面が手になっていた様です。

 歴史物に興味があるのですが、戦国時代にああり興味を示さなかった様で、徳川さんまで、意識する事ができなかった様です。ただ、最近、少しづつ興味が出てきた様子。心境の変化になるのでしょうか。似たものを見たのかもしれません。 

 

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名[1]・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる[1]。三英傑のひとり。

家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代[1]。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。

勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している[3]。

徳川家康 - Wikipedia 

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 “にしむくさむらい”日英同盟を結ぶ

お手本にすべき国は海洋国家イギリスになりそう

 やはり、日本は島国。世界を見渡してみると、島国はそう多くないことがわかる。

 海洋国家。お手本にすべき国はどこになるのだろう。振り返ってみたところ、自然に答えが見つかる。お手本にすべき国は、イギリスという国になりそう。

 1902年日英同盟が締結される。1904年日露戦争。

 1905年アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトさんの仲裁により、日露戦争の終戦をみる事になる。

 

セオドア “テディ”・ルーズベルト(英語: Theodore "Teddy" Roosevelt、[ˈθiːəˌdɔːɚ ˈɹoʊzəˌvɛlt][3][4][5]、1858年10月27日 - 1919年1月6日)は、アメリカ合衆国の軍人、政治家で、第25代副大統領および第26代大統領である。姓はローズベルト、ローズヴェルトとも表記される[6]。

大統領職 
1900年、大統領選の副大統領候補として当選、翌年9月大統領マッキンリーの死去(暗殺)に伴い大統領に昇格する。なお就任時の42歳と10ヶ月は史上最年少である。ちなみに、テディベアが誕生したのは大統領就任後のことである。1905年には日露戦争で日本・ロシア間の調停をつとめ、停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した。この和平交渉の斡旋によってルーズベルトは1906年ノーベル平和賞を受賞した。

セオドア・ルーズベルト - Wikipedia

キュウソネコカミ - 「ギリ昭和 〜完全版〜」  


キュウソネコカミ - 「ギリ昭和 〜完全版〜」