RADWIMPS / マニフェスト 自由な発想の中でしか、ロック、ボランティアやチャリティの精神も育まれる事はない


シュプレヒコール RADWIMPS MV

 

 

 自由とは、その蒼き心のことを言っている。

 自由なさま、自由に表現すること、精神性の自由、または、そういったイメージそのもの、また、イメージできることを言っている。イメージすること創造する事とは自由な蒼き心のことを言っている。

 

 よろしくないものに自由などあるはずもない。家や国で考えても、長の自由な裁量の中で、その平等の中で自由が確保されているだけで、自由などない。ないからこそ、平等という概念は、よろしくないものの正当化のためのお題目として利用されているだけだ。子供じみた、よろしくないものの為の概念に過ぎない。

 平等といい続けなければ、その概念を信じることをしなければ、維持できないものの為の逃げ道に過ぎない。自由な選択をせず、言い訳ばかり続けるものの概念に過ぎない。子供じみた、よろしくないものの発想が平等なのだ。

 

 だからこそ、“えこひいき”を嫌う。平等ではないと大人を嫌うが、そうではない。大人でもよろしいものにしか自由など無く、その自由な裁量の中で、子どもの平等が維持されているだけだ。また、子どもの中にもよろしくないものがおり、大人のよろしいものの自由な裁量の中で“えこひいき”をするのは当たり前。

 よろしくないものの逃げ道でしかないのが平等という概念。理屈。子供の屁理屈。“えこひいき”とは屁理屈でしかない。

 平等とは、子供じみた概念でしかない。

 

 よろしい人間にしか自由がない中で、よろしくない人間に合わせることで、個性はころされ成長が止まる。成長自体がよろしくないものと同等になってしまう場合もあるので、社会全体を考えると、よろしくないものに合わせるより、よろしいものの“自由”に合わせ、その自由な裁量の中で、苦しみ中にいるものや、報われることのないものの心を汲み取ったり、救いの手を差し伸べることをしたほうが良いのではないのかと考えている。

 よろしいものは、そもそも自由に生きる事ができる。自由があるから、その自由な裁量の中で、人に優しく出来るものと考えている。

 そもそも自由に生きるものが、“平等”という概念の中で、苦しみや不幸、もしくはあまりやる気のないものに救いの手を差し伸べるのだろうかと考える。おそらくしない。

 やる気のないものは論外としても、苦しみや不幸の中にあるものの“悪平等”に邪魔をされ、自由な発想を阻害される。結果的に救いがなく、よろしいものの自由な発想も阻害され、社会の成長は鈍化する。心や文化も育まれることもなく、やさしい気持ちになる事もない。

 “平等”とはそういうものだ。“左”とはそういうものだ。心に重きを置くのではなく、モノに重きを置く。結果に重きを置く。損得に重きを置く。人の心や情、やさしさといったところに何かを見ないのが“左”

 厳格に、機械的に心まで見てしまうのが“左”なのだ。心や文化まで科学してしてしまうのが左なのだ。不自由な発想にさせてしまうのが左なのだ。

 

 平等の概念の中から、ボランティアやチャリティといった考えが上手くいくはずがない。ボランティアなども、一人ひとりの自由な裁量の中でしか成立することなど無く、強制されたりするものでもない。ましてや、賃金が発生するはずがない。

 もし、ボランティアで賃金が発生するのだとしたなら、“悪平等”が由来していると考えていい。あくまでも、自由の中にしか優しさや人の心を育むことが出来ないにもかかわらず、「平等じゃない」といった批判や自由な裁量の中からではなく、強制された、もしくは役割としてといった感覚があるからこそ、賃金が発生してしまうのだろうと考えている。

 平等ありきだからこそ、ボランティアやチャリティが上手くいかないのだろうなと考えている。人の心に重きを置くことなく、“平等”を唱え、自由に生きる事ができる人の心を尊重しないから、上手くいかないのだろうなと考えている。

 この点をクリアにしないと、オリンピック・パラリンピックも上手くいかないのだろうなと考えている。自由の中でしか、障害を抱えているものの心を自由にできないと考えたほうがいい。

 モノとして不自由なものに平等を唱えるのは、意地の悪い、悪趣味でしかない。その悪趣味で心の無いものに自由な心を育むことなど出来ない。モノとして不自由なのだから他者と同等に自由な行動をすることは出来ない。平等でない。その不平等で不自由に生きる事しか出来ないものを救うのは、自由しかない。

 よろしいものの自由な裁量の中にある自由でしかない。平等ではなく、自由でしかないのだ。強い長の自由でしかないのだ。

 

 まずは、自由を追い求める。心の自由を追い求める。その次に身体の自由を確保。身体が自由でも。心が不自由では何もできない。まずは心を最優先。

 モノは心の下位にある。身体は心の下位にある。仮想空間に移行するほど、その傾向が強まると思われから、心あるものの自由を最優先。モノ視点の“左”は二の次。身体は二の次。心が機能しなければ、カタチは維持できない。

 心がその体を維持している。

 なので自由を追い求める。その心を追い求める。生きている限り、その美しい心を追い求める。自由にものごとをかんがえ、イメージし、無いところになにかを見、そこに有るものとし、何かを創造したり、想像することで、だれかに手を差し伸べられる。

 義務や責任というものではなく、そういったものを与えられる、もしくは育むことができるようでありたいと考えている。

 

 

マニフェスト

マニフェスト

  • アーティスト:RADWIMPS
  • 発売日: 2010/06/30
  • メディア: CD